社会科に対する考え方

 本ページでは、私の社会科に対する考え方について紹介します。そのために、そもそも学校教育の目的や教科教育とはいかなるものか、についても考えを示したいと思います。

<目次>
◆学校教育の目的とは何か
 (1)学校教育の目的
 (2)「実質的な」構成員とは?
 (3)なぜ義務教育(公教育・公学校)が存在するようになったのか
 (4)政治的中立と学校
 (5)学問知、受験知、学校知と「市民知」
 (6)批判的思考、対抗社会化とシティズンシップ

◆教科教育とは何か

◆社会科教育とは何か
 (1)社会科教育の目標
 (2)社会科教育の歴史
 ※【よくある誤解】
 (3)社会科教育を実施している国・地域
 (4)社会科における歴史教育
 (5)模擬〇〇、「あなたは〇〇です」アプローチの限界
     (なぜ模擬投票をさせても、若者たちは選挙に行かないのか)


◆学校教育の目的とは何か

(1)学校教育(義務教育)の目的
 学校教育(義務教育)の目的は、一言で言えば、子どもたちにシティズンシップ(citizenship)を形成することにあると言えます。シティズンシップとは本来「市民権」、つまり市民社会の構成員としての権利のことです。シティズンシップを形成するとは、子どもたちが市民社会の「実質的な」構成員になれるように、こうした構成員にとって必要となる資質(=態度や能力、知識など)を育成していくことを指します。ちなみに、シティズンシップのことを、教育学(や文部科学省)の世界では「市民的資質」「市民性」と呼んだり、「公民的資質」と呼んだりすることがあります。

(2)「実質的な」構成員とは?
 上で「実質的な」と書きましたが、市民社会の構成員になるための「形式的な」条件を保証するのは、日本政府です。例えば参政権。誰に参政権を与え、誰に与えないのかは、法律によって決められます。どんなに政治に関心があろうとも、法律的条件を見てしていない者には参政権はありません。では、こうした参政権を持つことができたら、本当に市民になったと言えるのでしょうか。おそらくそうではないというのが、教育学が考える市民像でしょう(諸説ありますが…)。政治についても社会についても他者の境遇についても、無知で、また関心もなく、自己の幸せのみを追求している人は、参政権を条件上持っていても、それを行使する能力も気概もないのですから、実質的には「参政権がない」のと同じです。学校教育は、そうしたことがなるべく起きないように、市民に働きかけをしていく機関です。
 それでは、ある日本に住む人間が「形式的な」条件をもし有していないとしたら、その人は市民社会の構成員になれないのでしょうか。例えばある人は何らかの理由から参政権がその国で与えられない(または制限される)立場にあるとします。でも市民社会とは、政治共同体ばかりを意味するものではありません。親戚、地域共同体、そして会社や学校、クラブ活動、その他さまざまな集団が、市民社会を構成しています。これらに参加することは、人間が生きていく上で避けて通ることは難しいでしょう。市民社会の「実質的な」構成員になることは、すべての人にとって必要なことなのです。
 付け加えますと、このように参政権がなく政治共同体への参加できない立場にあるとしても、それはそうした制限が正当化されるだけの理由があるかどうか考え、必要ならば参政権を求めて人々や政府に働きかけていくことで、自らが参加する市民社会の範囲を広げていくこともできるようになっていた方がよいでしょう。また、政治的活動は選挙だけではありません。ロビー活動やデモ行進、街頭演説など、様々な形があります。だから、「形式的な」条件が整わない人だって、自身が生活している国や地域の政治を知らなくては良いということにはならないはずです。

(3)なぜ義務教育(公教育・公学校)が存在するようになったのか
 先ほども述べましたが、現在、家族、親戚、地域共同体、国家共同体、そして会社や学校、クラブ活動、その他さまざまな集団が、市民社会を構成しています。
 このうち、家族や親族の一員になるのに相応しい教育をする場は、おそらくその家庭ということになるでしょう。商人の一員になるのに相応しい教育をする場は、やはり商店でということになるでしょう。また、小規模の地域社会であれば、その地域のお寺や教会が中心になって、地域全員で子どもたちを地域社会の一員として教育に取り組むことも可能です。
 実際、近代以前の社会は、上のような形で教育が行われていました。一部の特権階級を除けば、一生同じ地域で、親と同じ仕事に就くことしか選択できない時代(または若干の選択肢しかない時代)において、大半の人間には「学校」は不要でした。学校は、もっぱら特権階級のための教育機関として発達しました。
 やがて貨幣経済が浸透して、自給自足社会から、商品作物を生産する時代になると、情報が物を言うようになり、上のような教育だけでは限界が生じ、「寺子屋」のような専門教育機関が登場し、教科書も登場します。ただここへの参加は通う側の「自由意思」によるものであり、決して強制ではありませんでした。どの寺子屋に行くのかについても、通う側が決めることのできるものでした。ですから、通う側の意識や持っている情報が、とても重要になっていました。
 では、近代社会において国が、国民すべてに就学義務(義務教育)を課すきっかけとなったことは何か。3つの理由があります。一つ目は、市民革命と民主主義社会の登場が影響しています。市民革命によって、一般の人々が政治共同体に参加する権利が生まれ、併せて政治共同体に参加できる市民を生み出すために、「政治教育」が求められたのです。これがはっきりとわかるのが、フランス1791年憲法で、「法律を市民が裁けるようになる」力を育成するために、一般市民用の学校をつくり、義務教育を行うことを宣言しています。この時は、この後の革命後の混乱から実行に移されなかったのですが(フランスもナポレオン独裁→王政復古となってしまい、第三共和政の1881年まで初等の義務教育は制度化されませんでした)、ただこの時に生まれた考え方は、アメリカ合衆国に受け継がれていきます。というのも、アメリカは開拓移民が作った国であり、そこには国王も貴族も(当初は)地主もいませんから、政治的なことを含め、その全てを住民自身が決定していかざるを得なかったためです。逆に、イギリスや日本のように、国家や地域の政治的なことを専門的に司る特権的階級が歴史的に存在している国では、この発想からの義務教育はあまり発展しませんでした。
 二つ目は、産業革命が影響しています。産業革命によって、国家間で経済競争が激化すると、より質の良い製品を効率よく生み出すために、工場労働者の能力を高める必要が出てきました。そこでイギリスでは、19世紀に義務教育が整備されます。ここで重視されたのは、読み書き算盤(3R)。マニュアルくらいは読めるようにならないと、労働者として使えません。やがて産業形態が第二次産業、第三次産業と複雑になると、より労働者に求められることは増えてきます。学校で従来の算数に加えて、20世紀ごろから理科が、最近ではコミュニケーション能力を育成する教科活動が重視されてくるようになった理由の一つにも、こうした背景があります。
 三つ目は、国民皆兵制度が影響しています。火器の発達は、一般市民でも少しの訓練で十分に使える戦闘員にすることを可能にしました。これに併せて国家は、国民を総動員して兵士にしていくために義務教育を利用しようと考えるようになりました。地図の読み方、行進の仕方などが教えられ、基礎体力の向上が目指されることになりました。しかし一番重視されたのは、国民意識(および愛国心)の育成。教科では主に国語や歴史・地理、修身がその役割を担いましたが、体育祭などの特別活動や朝礼、普段の学級経営に至るまで、その考え方は徹底していくようになります。この立場からの義務教育は、早くもフリードリヒ2世統治下のプロイセンで試みられており(1763年の「地方学事通則」)、また戦前の日本の義務教育(特に日清・日露戦争後の義務教育)も、基本的にはこの立場から行われたと言えるでしょう。
 こうしてみていくと、義務教育は、いずれも、国家の都合から生まれたと言えるでしょう。国家から見て理想的な国家社会の構成員の育成を図ろうとした結果、義務教育が生まれ、国家によって運営されているとも見ることができます。近代社会は、そういった意味で、国民国家が大きな力を持つようになったことと無関係ではありません。つまり、成立当初から学校教育の存在は、子ども側の必要との間に「齟齬」を引き起こしてしまう危険性があるものだったのです。
 
ただ、考えようによれば、こうした国家の要求に対して、受講者である子どもたちは上手にこれを利用していければ、自らの職業選択の幅を増やすことができ、自分や地域の大切な人を守ることができ、そして市民社会の有意で主体的な形成者になることができ、自分にとっても市民社会全体にとっても大きな利益をもたらしてくれるわけです。私たち国民への国家の就学要求は、私たちへの国家のサービスとも読み替えることができます。また、こうした学校教育を受けないことは、その国の「実質的な」構成員になれなくなってしまう危険性があるのも事実です。教師は、子どもたちが上手に国家のこうした要求に「穏当な範囲で」応えつつ、またこうした要求を自分のものとして使いこなしていけるように、単元や授業を組み立てていく責任があります。
 ちなみに現在では、先に挙げた三番目の「国民皆兵」の観点からの学校教育の役割は小さくなってきています。逆に二番目の「産業人(産業戦士)」育成を学校教育が果たしていくべきだという主張は、産業界を中心にどんどん強まっているように思います。ただ現代社会において一番注目されているのは(そして学校で一番課題となっているのは)、一番目の「民主主義社会」の有意なる構成員を作るというところでしょう。
 ただこれは大変な作業となります。まず民主主義なんて知らなかった時代、民主主義を教えることが出来る人はほぼ皆無でした。だからまず教員を作る学校を作らねばなりませんでした。しかも、ここで必要とされる素養は、寺子屋の先生とはくらべものにならないものでした。民主主義社会といっても様々な形がありますし、要は人々を「自分の住んでいる国家や社会のことは自分たちで決める」ことができるようにしなければいけないわけですから、そこで必要となることは時代や地域によっても違ってくるわけです。
 経済発展によって人口流動が活発化すると、地域共同体の形も変わり、ニューカマーにも対応できる新しい形の地域共同体の構成員になるための教育が必要となりました。ニューカマーに「郷に入れば郷に従え」方式で教育する(これを同化と言います)のではなく、お互いの良い面を尊重し、取り入れていきながら地域を作っていこうということになると(多文化化と言います)、地域共同体の人たち自身が、その構成員として必要となる資質を見直さなくてはならない事態となり、国家共同体ばかりでなく地域共同体の一員となるための教育も、専門的訓練を受けた学校教師が担当するようになりました。
 また戦後の福祉国家の登場は国家の役割を拡大させ、これと併せて市民の国家共同体の問題を考える責任も増えました。メディアの発達は、メディアとの上手な付き合い方を教えないと、メディアに扇動されてしまう危険を生みました。科学技術の進展は、日常では分かり得ないような問題を、私たちの日常生活にもたらすようになりました。学校で教えなければならないことはどんどん増え、教師の負担は増すばかりです。

(4)政治的中立と学校
 そういった意味で、学校とは、「価値付け」とか「意味づけ」という行為に関わらないでいようとすることなど不可能な存在(「価値付け」を否定する学校は、その存在意義を失う)と言えるでしょう。教育基本法は「学校は政治的に中立でなければならない」ことを謳っていますが、国家や地域の政治共同体を含む様々な市民社会への参加を準備させていくことが義務教育の存在理由として大きな地位を占めていることは、おそらく疑いのないことであり、そういった意味では学校は政治的に中立になることなどあり得ません。
 教育基本法のいう政治的中立とは、どこか特定の政党(または政治団体や思想団体)やそれらの基盤となる政治思想のみを正しいとし、それ以外のものを排除しようと学校や教師が働きかける行為を禁ずるものと解釈するべきでしょう。だから時の与党が直接、または文部科学省を通して間接的に自らの党の政策や思想を強制する行為は、例えその政策や思想が過半数の人々に支持されていようとも(民主主義=多数決ではない!)政治的中立に反しますし、逆に特定野党の政策や思想を子どもたちに刷り込むことも、政治的中立に反します。ただし、「私は個人的には○○党を支持する」と教師がその信条を告白するべきかどうかは、その発言が子どもたちに与える影響力や子どもたちの知的成長の程度などを加味して、教師が自らの責任の範囲で決断するしかないでしょう。

(5)学問知、受験知、学校知と「市民知」
 学校は、市民社会の構成員にするための知識や素養を教える機関であるという「建前」である割には、「どこでこれ役立つの?本当に市民社会で必要になる知識なの?」といったことを多く教えているなと感じる方。そういった方こそが教育学を学ぶ資質のある方だと私は思います。
 そう。今の学校の一番の問題は、市民社会で必要となる知識や素養を殆ど教えていないのに、どう考えても必要になるとは思えない知識や素養を教えることに躍起になって時間の大部分を割いていることにあると思われます。これは公的カリキュラム(学習指導要領)と大学などの教師教育に最大の問題があると私は考えています。
 まず中学・高校などに多いのが、学校とは諸科学の研究成果(またはその学問の作法)を教えることだと単純に考えている教師の存在。中学や高校のカリキュラムに見られる「地理科」「歴史科」との名称や、「第一分野(物理・化学)」「歴史的分野」という言い方が、学科=教科のイメージを受け付けてしまいやすい環境にあり、また文学部や理学部といった学部・大学院で、その学問についてある程度修めた者(修士号取得者程度)が、大学研究者ではなく自らの専門性を生かして飯を食っていこうとしたとき、真っ先に就職先の候補となるのが、こうした教科の教員になることでしょう(教育学部出身者でも歴史学や物理学といった教科内容の先生についた学生には同じ傾向が見られる)。また理学部や文学部の教授陣も、その卒業生が中高で学問の諸成果を伝達することを期待していることが多い。それは、そのことで「俺、大学で○○学したい」と感じる学生が生まれ、やがて○○学を支えてくれるようになれば、その学問は安泰だからです。
 しかしこうした教師の行為は、市民社会の構成員の育成というよりは、学問共同体の構成員の育成になってしまっています。もちろん、学問によっては、そうした研究成果や研究作法が市民社会で有益なケースも少なくないですが、あまりにこうした市民社会とは繋がりがない、場合によっては悪影響を及ぼす知識や作法もあります。高校の「地理B」「世界史B」のような選択教科の中で学問的な内容や作法を、そうしたことを学びたいとする意志のある生徒(彼らのうちの何人かは、将来そうした学問共同体に属すことになるだろう)に伝えることは何も問題はありませんし、そうしたことを学校教育がしていく責任もあるとは思いますが、そうした意志なき者も受講する(しかも強制的に…)小中学校の義務教育で教師がこうした行為を頻繁にとることは、ある意味で「不適正」であるように思います。
 子どもたち全員を、理科なり社会科なりを受講させる理由について考えてもらいたい。それは歴史学者や物理学者にするためではないはず。こうした学問知を教えたとき、それに子どもたちが興味を抱けなかったとき、彼らは学ぶ意味を見失いやすいわけです。また「受験で出る」といった即時的なところに意味を見出したりします。でも試験が終わればきれいさっぱり忘れます。なぜなら、その知識は、市民社会では「不必要」だから(少なくとも子どもたちは不必要と捉えているから)。
 受験の話になったので、ついでに言えば、大学受験は、普通その大学での学びに堪えうる知識や素養があるかどうか判定するために行われるものです。しかし、大学の中には、こうした目的を見失っているところが少なからずあるように思います。例えば歴史学を学ぶのに必要なことは、重箱の隅をつつくような知識ではなく、古文書読解が出来る程度の古典読解能力や、先行研究が読める程度の日本語読解能力、そして研究対象となるその時代(と前後の時代)の文脈に関する知識でしょう。例えばシーボルト事件で責任をとって切腹をした天文方の名前は誰とか、足利幕府の二代将軍の名前は誰なんて問題、本当にナンセンスです。実生活においては、こうしたことを問われることはまずありませんし、万が一問われても、分からなければネットなどで調べればすぐに解決します。こうした知識はもはや学問共同体の構成員になるために必要となる知識ですらありません。○○大学に入学し○○大学の一員になるための知識、いわば「受験知」です。これは学問知とは分けて考えなければなりません。
 あと小学校で多いのが、学問的でもなければ、市民社会で行う見込みもない、いわば「奇妙な活動」を子どもたちに体験させる学習。子どもが活動していればそれでOKとする教師によって行われているように感じます。例えば「歴史すごろく作り」などは、これに該当するように思います。座学より活動を子どもは好むから活動をさせる、活動をさせればそのことを好きになる…という発想でしょうか。しかし、市民社会でも学問共同体でも行う予定のないその行為に意味を感じる子どもが実際にどの程度いるのでしょうか(私は、「歴史すごろく」を作って歴史がわかるようになったとか、歴史に興味を持ったという声を聴いたことがありません。むしろ小学生ですら「子どもだまし」と感じているようです)。子どもたちは必要だと感じれば、その課題が少々困難でも立ち向かいますし、必要と感じなければ、その課題が簡単なものであっても手を抜きます。学校の教師を純粋に信じている小学校の低学年ならばともかく、市民社会についての情報をある程度吸収し、物事の分別がつくようになる小学校高学年以降は、こうした傾向がより顕著になってきます。学校でしか通用しない知識、これは「学校知」と言います。もっとも意味を見出しにくい知識でしょう。
 
(6)批判的思考、対抗社会化とシティズンシップ
 さて、学校が市民社会の構成員(特に民主主義的国家・社会の構成員)を形成するための機関であると言いましたが、これは「市民社会に迎合する」ことでも、「市民社会の慣習や文化を無批判に受け入れる」ことでもありません。
 かつて商人になるために商店で丁稚奉公をする場合や、職人になるために修行をする場合、多くで「徒弟制」が採用されていました。これは、その職業の作法や技術を伝えるための一つの手段であり、一定の(その共同体なりの)合理性があるために引き継がれてきたのでしょうが、決して「民主主義的」なやり方とは言えません。少なくとも、新参者は数年間は親方や兄弟子に逆らうことはご法度でしょう。
 地域共同体や国家共同体を民主主義的なものにするためには、こうした徒弟制での教育では限界があります。新参者は口を出せないなんて発想で教えていては、若者は自分の意見を主張できなくなります。だからこそ、学校が存在し、徒弟制とは異なる教育を行います。
 ちなみに、現代社会で徒弟制が採られているところの多くは、伝統芸能、または伝統的な何かを継承させていこうとする機関です。逆に時代に応じて臨機応変に対応しようとする機関では、あまりこうした徒弟制をとるところは見られなくなってきています。今時、商人になるために、商店の丁稚に行く人も多くはないでしょうし、また商店に就職しても「奉公人」ではなく、「従業員」として個性を認め、ある程度までなら商店の経営に対しての発言権があるのが実態ではないでしょうか。そうでないと、時代に取り残されてしまいますから。
 市民社会にも様々ありますが、地域や国家共同体は、伝統芸能の共同体に近いのか、それとも商店などの共同体に近いのか…言わずもがなではないでしょうか。
 市民社会の構成員になることが、地域や国家への迎合であるならば、地域社会が競争社会なら、学校も競争社会にならねばならならず、そして場合によっては「いじめも全然あり!大人社会だって現実はいじめがあるんだから」ということになってしまうかもしれません。でもそれがおかしな論理であることはお分かりいただけると思います。私たちは市民社会の「有意な」一員になるために、批判的思考ができるようになる必要があるのです。これは何にでも懐疑的になって噛みつくことでも、反社会的活動をすることでも、脱社会して部屋に引きこもることでもありません。
 教育学でも、「正統的周辺参加」とか「徒弟制」とか「共同体の学び」がもてはやされていますが、それがもたらす保守性について、教師は敏感であるべきでしょう。

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◆教科教育とは何か


 教科=学科、それは誤解です。もし教科=学科であるならば、「理科」ではなく、「物理科」「化学科」「生物科」「地学科」にならないとおかしいですし、「社会科」ではなく、「歴史科」「地理科」「政治・経済科」などになっていないとおかしいわけです。
 そうではなく、教科教育とは、市民社会の形成者として(良き市民として)必要となる諸要素(例えば健康の維持、自然環境を生かした合理的な生活、建設的な社会への参画など)を、それぞれ分業的に育成していくことをめざす教育的活動のことです。そのため、各教科は、その教科独自の人間形成に向けた目標(教科目標)を立て、その実現に向けてある程度子どもたちを意図的計画的に育成していくことになります。
 ちなみに、市民社会の形成者として必要となることを、意図的計画的、そして分業的に行っていこうとするのが「教科教育」であるのに対して、子どもたちのその時の必要場面に応じて状況即応的に、そして自然的(総合的)に行っていこうとするのが、「総合教育」(我が国の場合、「総合的な学習の時間」がこの発想に該当する)だと言えます。
 市民社会を形成するには、読み書き算盤に加えて、健康な体つくりが求められますし、健全な家庭生活を営み、自然や科学技術を生かした物作りができるようになることが求められます。芸術表現を知り相手に自らの考えを伝えてくことや、芸術を楽しめる素養も必要かもしれません。そして、地域や国家共同体を主体的かつ建設的に形成していくことも必要になります。これらを、国語、算数、体育、家庭科、理科、技術、社会科、美術、音楽などの教科がそれぞれに義務教育として必修教科として担っていきます。学問が上位にあるのではなく、こうした教科目標(人間目標(humanity objectives)とも言います)が上位にあるのです。

 なお、高等学校では、学問的名称がそのまま教科名になっています。この場合は学科=教科と解釈し、諸学問の作法や研究成果の伝達に重点を置いた授業作りをしてもあまり問題ありません。ただ、高校は義務教育ではないこと、そして「地理B」「日本史B」を専攻するかどうか、「物理」「化学」「生物」「地学」を専攻するかどうかについては、子どもたち側が選択することを理解しておかねばなりません。例えその学習内容が市民生活で役に立たないようなものであっても、受講者である生徒に学ぶ意志があるのですから、学習が成立するわけです。その意志が純粋に学問的関心によるものであるのか、それとも受験やその他のことによって生じたものであるのかは問われません。
 ちなみに高校においても、「日本史A」「地理A」のような科目は、市民社会の形成者を育成することが上位にあります。義務教育下の社会科に近い授業づくりが求められます。

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◆社会科教育とは何か


(1)社会科教育の目標
 社会科は、国家・社会の有意な形成者を育成するに当たって、そのために必要となる社会認識の作法や知識、そして社会に対して関心を持つ態度を育てていくことが教科の役割です。社会科系の学会では、よく社会科の目標は、「社会認識形成を通して市民的資質の育成をする」だと表現されます。でもおそらく本当は、社会科とは「市民的資質の育成をするために必要となる社会認識形成を行う」教科だとするのが正しいのだろうと思います。
 もう少し具体的に言えば、現代社会を理解し、現代社会の論争的問題(地域・国家・世界規模の問題、みんなが考えていかねばならない問題)を考察して判断していけるように育てていくことであり、もう少し端的に言えば、主権者を育成していくことにあると言えるでしょう。
 そういった意味では、社会科教育の存在は、義務教育の教科の中でも、王道中の王道にあるわけです。その割に現場での扱いが低い…。ここに書ける理由と書けない理由がいろいろとあって、そうなっているのでしょうが、私としては、もう少しこの教科の目標にみんな拘ってもらいたいと思っています。
 ちなみに、上の私の社会科教育の解釈は、学習指導要領が考えるところの社会科観と大きなズレはないものと理解しています。

「広い視野に立って,社会に対する関心を高め,諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め,公民としての基礎的教養を培い,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。」
(中学校学習指導要領 社会編)

 「公民的資質(市民的資質)」というのは、前述しました通り、シティズンシップのこと。「国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者」として必要な資質(知識・能力や態度)、つまり市民社会の形成者として必要になる資質を育てるのが社会科だと言っているわけです。 そしてそのために必要となる国や地域といった社会の理解(認識)を保証せよ、地域や国の一員として常識的な知識(教養)を保証せよ、社会に関心を持たせよ、社会を愛させよと言っているわけです。

 「公民としての基礎的教養を培い」に違和感を覚える人もいるでしょうが、例えば徳川家康だとか、『枕草子』という本のタイトルを知ることは、その知識が直接的に市民社会を形成していくのに役立つことはあまりないでしょうが、しかしそのことを知らないと、普通の大人たち(彼らも市民社会の形成者です)と対話するのが困難になる場面が多く生じると思われます。なぜならこうした知識は、日本社会の大人たちの9割が知っている知識だからです。こうした知識を持っていないと、「この人、僕たちと同じ基盤に立っているのだろうか(立てるのだろうか)」と他の大人たちに思われてしまいます。こうした事態が生じることは、市民社会の形成を阻害する要素になりかねません。ちなみに、こうした基礎的教養と、先述した室町幕府二代将軍「足利義詮」などの教養とは同次元ではないことはお分かりだと思います。足利義詮なんて、普通の大人は知らないですから。

 「我が国の国土や歴史への愛情」に違和感を覚える人も多いと思います。これは愛国心を意味する、愛の強制だ、心に介入する気か!と。たしかにここの箇所は愛国心(または愛郷心)を意味していると思いますが、ただこれは愛国心を「国家政府」(または「集団」「社会なるもの(the social)」)を盲目的に愛することと捉えることによって生じるのではないかと思います。確かにこうした捉え方は危険です。でもそれは、愛国心を狭くとらえ過ぎではないかと思います。
 愛の形にはいろいろあります。本当にその地域や国が良くなって欲しい、と感じて批判をすることも、一つの愛の形です。また、愛の対象となる地域や国とは、主にはその地域・国に住む住民や彼らの人権や幸福などのことであって、これへの愛です。また、地域や国を愛すことが個人を大切にしないことになるというのもおかしな話で、愛情の対象は一つではありません。もし国家が「お前は一人の命と国体護持とどちらが大切なのだ」と尋ねてきたら、遠慮なくその国の人々の幸福のために、そうした問いかけをして国家政府への服従を誓わせようとするその国家を批判し、広く人々に問題提起するべきでしょう。
 そう考えると、愛国心や愛郷心なんか、教えられなくても地域社会で生活していれば普通は身に付くと思われる方も多いと思います。でも、実際にはそうでもありません。愛国心・愛郷心の反対は、国や地域への無関心。地域・国に住む人々の人権や幸福への無関心です。行き過ぎた個人主義は、自分とその親しい者たちの権利と幸福しか願わなくなりやすいわけですが、こうした事態は競争社会という現実の中で実際に進行しているように感じます。
 でも、なぜ「我が国」とあえて限定するのか。これは確かに変な部分です。結婚とは異なり、愛する対象は複数あって良いのでありますから、我が国に限定するのは不自然です。でもこれは、我が国だけを愛せだとか、地域や世界や外国よりもまず我が国を一番好きになれというのではなく、最低「我が国(国民の人権や幸福)」は愛してくれ、というミニマムエッセンシャルズとして捉えれば合点がいかなくもないです。
 
 「諸資料に基づいて多面的多角的に考察すること」…これは比較的最近の学習指導要領から登場するようになった言葉です。国家・社会の形成者を育成するに当たっては、社会についての内容知だけではなく、一次資料を確かめる、他人の異なる見解を聞く、人文社会諸学問の分析視点を複数用いて総合的・多学問的に社会を考察するといった作法(方法知)も必要になるから、あえて記したのだろうと思います。
さて、参考までに、アメリカ合衆国の社会科の目標を示しておきましょう。NCSS(全米社会科教育協議会)の定義は次の通りです。

「社会科は…(中略)…人類学、考古学、経済学、歴史学、政治学、哲学、心理学、宗教学、社会学の学問的基盤を参考に探究する体系的な学習である。社会科の主要目的は、相互依存の世界の文化的民主的な市民として、生徒が共通善(common good)に対して知的な意見をすることが出来る能力を開発することにある。」
「健康、犯罪、外交のような公的論争問題は、事実上、多学問的な領域に渡る。これら論争問題を理解し、その問題の解決策を開発することは、多学問的教育を要求する。この特質は社会科のカギとなる明瞭な側面を示している。」


 良き市民とは、共通善に対して知的なコメントができるようになることだ。よき市民になるためには、公的論争問題を多学問的に考察し、その解決策を考えていくことが特に大切だ…ということである。日本の学習指導要領より、教科の性質をはっきり表現しているような気がします。

(2)社会科教育の歴史
 社会科教育は、1916年にアメリカ教育学会(NEA)が『中等教育における社会科』という報告書を出して成立したとされます。これは次のような特色がありました。

@ 地理や歴史は、通時的編成ではなく、問題史や主題史による構成をするようにと指示されたこと
A 最終12学年で、「アメリカ民主主義の諸問題」という単元が置かれ、社会問題を考察できるようになることが、社会科の大目標であることがはっきりと示されたこと。
B 義務教育課程の最終学年であった9学年にも「コミュニティ・シヴィックス」が設置され、社会科は地域コミュニティの有意な形成者を育成することが、最低限やらなければならい課題であることが示されたこと。

 こののち、上の@〜Bの精神性をある程度維持しながら、様々な社会科カリキュラムがアメリカで登場します。今日の日本でおなじみの同心円的拡大法も、その一つに過ぎません。(社会科は同心円的拡大カリキュラムでなければならないというわけではありませんし、自国の歴史を教えなければならないというわけでもありません)
 日本では、終戦後にGHQの指導の下で、従来の修身、地理、歴史に代わって導入されました。ヴァージニア州のカリキュラム(アメリカで生まれた様々な社会科カリキュラムの中では、当時比較的に注目されていたものの一つ)が大いに参考にされたようです。
 ただ、どういうわけか社会科の歴史というと、多くの関係書籍(大学での教科書の類)は、昭和20年代の学習指導要領の社会科から話を進めており、それ以前のアメリカ合衆国で展開した社会科教育の経緯が無視されてしまう傾向にあります。アメリカ合衆国と日本の社会科は別ものと考えているか。それとも単純に、社会科教育を研究する人々は、「英語が苦手」なだけなのか。分かりません。
 社会科とはどういった教科で、何をすべきなのかを根源的に考えるには、実際に社会科を生み出してきたアメリカ合衆国の教育史をひも解くのが一番効率的であると私は考えています。日本の社会科教育史だけを見てしまうと、なんだかアメリカから押し付けられて、無理やり日本の文脈に合わせたようにも見えるし、また同心円的拡大カリキュラムは社会科とセットに見えてくる。社会科とは問題解決学習だといった話も、このように日本の昭和20年代の社会科を原点とする発想から生じているのではと考えています。

【よくある誤解】
「社会科は内容教科である」…これは、社会科の性格を捻じ曲げる可能性があります。主権者を育てる社会科にとって、社会を解釈するために概念とか理論といった内容知はとても大切になりますが、主権者として必要となる社会を読み解くための方法や資料などの取り扱い方といった方法知、社会への関心といった態度的側面を非常に軽視した表現に感じます。また何のために内容を学ぶのかが見えにくい表現です。社会科学の内容さえ教えればOKといったようにも感じます。
「社会科は科学的社会認識の教科である」…これは、社会科を社会諸科学の寄せ集めの教科に還元したい人々がよく使う言葉です。なぜ「科学的」でなければならないのか、はっきりわからない表現です。「科学的」の部分を「合理的」に読み替えるケースもありますが、それも同じ問題にぶち当たります。「それは学校でしか学べない内容だからだ」と答える方もいらっしゃるかもしれませんが、「ではなぜわざわざ学校で子どもたちは科学的な社会認識を学ぶのか」と尋ねたら、彼らは何と答えるのでしょうか。科学はそれ自体いかなる市民にとっても有益だとの前提にあるから、そういった表現になるのでしょう。しかしそれは、社会科がもっている哲学や世界観がほとんど分かっていないと私は考えます。
「社会科は問題解決学習を行う教科である」…これは、社会科の内容を決めるのは子どもたちの興味関心であり、保障するべき学力は、社会への関心と、社会を読み解くために必要な問題解決のプロセスだと捉えているでしょう。学問共同体に参加するとは限らない子どもたちに、学問知を教授しようとする上2つの立場よりは、子ども目線に立って教育を行う分、私から見て共感のできる立場ですが、やはり「何のために社会を学校で学ぶのか」という視点が欠けています。子どもたち一人ひとりが自分の関心から学ぶというのでは、彼ら(または彼らを取り巻く周囲の大人たち)の関心が低いテーマは外されてしまいます。主権者になるためには、関心の低いテーマも扱わなければならない(扱っているうちに、自分たちに関わりがあることに気づいていく必要がある)と私は思います。また、為政者に対抗できるだけの批判的思考ができるようになるためには、多少なりとも訓練を受けた教師の介入が必要になるでしょう。ただ「これって本当?」「確かめよう」という子どもをつくるだけなら、それは単なる懐疑的な子どもでしかありません。主権者としては不十分です。

(3)社会科教育を実施している国・地域
 実は世界中で行われているわけではありません。ヨーロッパの多くでは、地理、歴史、公民の三部からなるカリキュラムです。社会科とは、公民的な目標を地理や歴史も共有するところに特徴があります。歴史学や地理学の強い国ほど、こうした統合カリキュラムを嫌がり、学科=教科としてカリキュラムを編成する傾向にあります。
 社会科は、アメリカ合衆国、日本、タイ、韓国、フィリピンなどに見られますが、これらについても、どの国も同じカリキュラムの構造を持っているわけではありません。

(4)社会科における歴史教育
 上の(3)で、地理も歴史も公民的な目標を共有するところに社会科教育の特徴があると指摘しました。これはとても重要な部分です。これを端的に示したのが、1951年の学習指導要領に見られる次の表現です。

「歴史学習は、単に歴史学そのものではなく、どこまで教科としての社会科歴史の学習であり、したがって、生徒の経験領域をもとにして、現実に立脚し、世界的視野をもって、自主的に学習させ、その結果として、現代社会の歴史的位置を発見させ、もっと将来の社会建設に働きうる知識と能力を兼ね備えた、有意の民主的市民の形成を目的とした歴史教育でなければならないということである。(中略)歴史の学習は、現在を知るために歴史を学習するものであって、歴史のために歴史を学ぶのではない。」
(『昭和26年度 中学校・高等学校学習指導要領社会科編V (a)日本史(b)世界史(試案)改訂版』「まえがき」より)

つまり、歴史それ自体を知ることを目的とした学習は、社会科歴史の学びではないのです。
 このような考え方は、例えばデューイの歴史教育論に顕著です。『経験と教育』『民主主義と教育』などの著書にも見ることができます。
 1916年の『中等教育における社会科』において、主題史や問題史が重視されたのも、要は「現代社会」とのつながりや貢献を意識するためには、通史などの時系列の学びではなく、「環境問題」「人権問題」「食べ物」「余暇」などのテーマから歴史を扱った方が合理的であると判断されたからです。そして、昭和20年代の我が国の社会科でも、この考え方は積極的に採用されました。現在の「地理的分野」「歴史的分野」や「歴史上の人物学習」などといったものはその当時は存在せず、また日本通史の学習は、社会科とは別の枠組み(中学校「日本史」)で行われました。その「日本通史」においてすら、現代とのつながりが重視される編成となっていました。

 これに反発したのは、保守と革新の両勢力でした。保守派は、「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」「飛鳥時代」「白鳳時代」「奈良時代」「平安時代」「鎌倉時代」・・・というおなじみの「日本史」の流れを伝えることで、日本人が語るべき共通物語を国民に付与し、ナショナル・アイデンティティを形成したいと考えており、通史や時系列の学びに否定的な社会科の歴史学習の考え方を疎んじました。
 革新は、「原始」「古代」「中世」「近世」「近代」・・・というおなじみの「歴史発展の法則」を教授し、世界は経済によって動き、そしてその発展の先に共産主義社会があることを伝達しようと考え(これを当時は「科学的社会認識」などといっていました)、同じく通史に否定的な社会科の歴史学習の考え方を疎んじていました。

 自民党は、進駐軍が撤退したのちの1958年に学習指導要領を改定し、中学校を歴史的分野、地理的分野、政治・経済・社会的分野の3分野制にして、中学校での通史学習を社会科に組み込み、さらに小学校6年にも日本の歴史を時系列で学んでいく学習を組み込みました。

 なお1989年以降現在に至るまで、高等学校では「社会科」ではなく「地理歴史科」となっていますが、これは高等学校の歴史教育は、こうした社会科の理念とは別の理念(歴史学概論的な役割としての教科)から展開することをねらいとしたためです。義務教育である社会科の歴史とは一線を画すために、「社会科」の冠を外したわけです。
 社会科の歴史教育の世界を詳しく知りたい方は、キース・バートン&リンダ・レヴスティク著(渡部竜也ほか訳)『コモン・グッドのための歴史教育』(春風社、2015年)を一読されることをお勧めします!

(5)模擬〇〇、「あなたは〇〇です」アプローチの限界
     (なぜ模擬投票をさせても、若者たちは選挙に行かないのか)

 模擬投票で若者が選挙にいくようになるぐらいなら、大人達はもっと簡単に子どもたちをあらゆることに動員させることができそうです。
 模擬戦争をして戦争に行かせることも、模擬歴史学者をして歴史学者にしてしまうことも、模擬反戦運動をし左翼にしてしまうことも。
 でも、実際にはこうした模擬〇〇に影響を受ける子どもたちはあまり多くありません。それは、子どもたちには意志があり、そしてその意志に、彼らの埋め込まれた社会的状況が相当影響を与えているからです。
 その子どもにとって、そして子どもたちを取り巻く大人達にとって、「投票行動」「模擬歴史学者行動」「反戦行動」に何らかの意味があるものと認識されていないのであれば、その活動は彼らに浸透しません。教えるべきは、こうした行為の手続きや知識以上に、彼らにとっての社会生活上の意味なのです。
 そのため、私は今、子どもたちの学びへの意味付けや、その意味付けを生み出す社会状況を研究するための「社会文化的アプローチ」という研究方法に注目しています。



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