著書の紹介

 本ページでは、私の著書を紹介します。

◆ダイアナ・E・ヘス著(渡部竜也・岩崎圭祐・井上昌善監訳)『教室における政治的中立性―論争問題を扱うために―』春風社、2021年




◆渡部竜也・井手口泰典『社会科授業づくりの理論と方法―本質的な問いを生かした科学的探求学習―』明治図書、2020年

本書は、森分孝治氏の古典『社会科授業構成の理論と方法』(明治図書、1978年)の理論をある程度継承しつつ、筆者なりのアレンジを加えた本である。問いを重視し、問いの構造化を通して、子どもたちの探求を支援するという発想で全体を構成している。森分氏は知識の構造化を重視していたことを考えるなら、その点が本書と森分氏の著書との大きな違いになるだろう。また、森分氏の理論を継承している後継の理論家・実践家のアプローチや、加藤公明氏の「考える日本史」など、現代の中高現場の社会系教科教師に影響を与えている理論や考え方を議論の俎上にのせて批判的にとりあげている点も、本書の特徴といえるだろう。教材研究と授業づくりを分離せず連続的にとらえたり、かなり実験的な試みもふんだんに加えている。本書は、渡部が「中等社会科教育法Ⅱ」で森分氏の著書を活用して学生の指導案づくりを指導・支援する中で感じた疑問などに基づいて、渡部なりに思考してアレンジを加えてきた15年の成果を形にしたものである。
本書は当初は『問いの構造図からつくる科学的探求学習』というタイトルにしようと考えていたが、明治図書との交渉の結果、上のようなタイトルになった。限りなく森分氏の著書のタイトルに近いものとなり恐縮の限りであるが、わかりやすいのでよいかなと開き直ることにした。
本質的な問いについては第6章で取り上げているだけなので、副題にするには違和感があったが、とはいえこの本でこだわった部分でもあり、また森分氏の著書にはなかった発想の部分でもある。

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◆渡部竜也『Doing History;歴史で私たちは何ができるか』清水書院、2019年

本書の最大の特徴は、歴史教育論者にありがちな「歴史学絶対主義」の立場をとらない点にある。だからといって、「社会科学科歴史」のように、歴史学をいたずらに軽視する立場もとらない。歴史学が大切にしてきた思考作法、そしてそれ以外の学問や一般市民の歴史をめぐる思考作法も含め、社会生活の向上と民主主義社会の寄与といった観点から問い直す。歴史学の思考作法も、それ以外の思考作法も、それらは道具に過ぎないのであって、使い方次第で、有意義なものとなることもあれば、どうでもよいものや厄介なものになることもある。歴史で何が私たちにできるのか。一読して考えてもらえたらと思う。

本書は、発売後3か月で重版増刷となりました。
  • ご購入されたすべての方に感謝申し上げますとともに、よかったら読書感想をいただければと思います。Amazonでのコメントでも結構です。
おかげさまで、多くの方にinstagramやtwitterなどSNS上で取り上げていただきました。図書新聞など何社かには書評をしていただき、また学会誌でも書評に取り上げていただきました。著者冥利に尽きます。ありがとうございます。




◆渡部竜也『主権者教育論―学校カリキュラム・学力・教師』春風社、2019年

本書は、そもそも学校教育とは何か?について考えたい方にとって、おそらく絶対読んだ方が良い本だろう。
義務教育の起こりについてはいくつかの系統がある。18世紀中ごろのプロイセンでフリードリヒ大王が富国強兵政策を実施するために、国民を生み出すための装置として提案したもの。19世紀イギリス産業革命期に、主に産業社会を支える市民を育てるために、国が整備したもの。そしてもう一つ忘れてはならないのは、18世紀フランス革命期に登場した「主権者を作るための」の義務教育(コンドルセと1791年憲法)。
ただ、ルソーが公教育に否定的であったように、国が(国の政策を厳しく吟味する力を持つ)主権者を作るという発想には、ある種の矛盾があることは登場当初から言われてきたことである。そしてこの矛盾と100年以上つきあって議論してきた国が、合衆国である。それは未完のプロジェクトだが、希望のプロジェクトでもある。デューイを始め、多くのアメリカ人を魅了し続け、そして日本人を魅了し続けている。
我が国では義務教育が当初は4年程度であったものが、現在9年に延ばされ、さらに高校全入時代の現在、実質的には12年の義務教育となっている。これはある程度の経済力を持つ民主主義国なら、どこにでも見られる傾向といえ、こうした国々において、少なくとも中等段階と呼ばれる後期の義務教育が世界的に存在している主な理由は、主権者の育成(と高度情報化社会に対応できる職業人の育成)にある。国の健全な民主主義と資本主義の発展を節に願うなら、たかが学校教育、されど学校教育。もう一度見つめなおしても良いのではないか。

まえがき
第1部 アメリカの社会科の歩みが教えてくれる学校教育での主権者育成の条件
第1章 社会に建設的に参画できる市民を作る―社会問題中心の統合カリキュラム
第2部 教師による主体的なカリキュラム調整または創造の重要性
第2章 ゲートキーパーとしての教師―学習指導要領を生かすも殺すも個々の教師次第
第3章 カリキュラム・マネジメント①
第4章 カリキュラム・マネジメント②
第5章 主権者教育として見た時の学習指導要領「社会」
第3部 なぜ教師は大学で社会科教育学を学ぶ必要があるのか?
第6章 アメリカの社会科教育研究史―主権者を生み出す学校カリキュラムの在り方とその作成主体をめぐる議論
第7章 日本の社会科教育研究史―学習指導要領の実行からラディカルな授業構想に向けた議論へ
第8章 日米の社会科教育研究の共通性と差異―ねらいについての議論(aim-talk)を重視する姿勢とそのやり方
第9章 一般の教師と研究者の授業を見る視点の違い①
第10章 一般の教師と研究者の授業を見る視点の違い②
第11章 主権者教育の議論が困難な教育学研究について―内容からだけの議論でも方法からだけの議論でも不十分
第12章 社会科教育研究の学習科学化問題―主権者教育研究の危機的状況
第4部 主権者に必要とされる学力とは
第13章 池野範男の学力論
第14章 真正の学び/学力と主権者教育
第15章 真正の学力の評価か、学力の真正の評価か
第16章 標準化された学力を真正の学力に転換する試み
第5部 根源的かつ創造的なカリキュラムと授業開発の重要性
第17章 ハーバード社会科に学ぶ
第18章 主権者教育の根源的な問いかけからの授業構想
第6部 主権者を育成できる教師の教育
第19章 大学教師教育カリキュラム構想―ビジョンを育てることを目指す教師教育
第20章 教師教育構想の効果と課題
第21章 教師にとって学科内容の学びとは何か
あとがき
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◆ドナルド・オリバー&ジェームス・シェーバー著(渡部竜也・溝口和宏・橋本康弘・三浦朋子・中原朋生共訳)『ハーバード法理学アプローチ―高校生に論争問題を教える』東信堂、2019年


原著は、Teaching Public Issues in the High School (1966)
  • アメリカ合衆国の法教育、特に立憲主義型議論学習の古典中の古典であり、また論争問題学習論の古典でもある。その影響力は大きく、「法理学アプローチ」は今なおアメリカの学校で行われている学習法で、法曹関係者のマインドで論争問題を読み解き、議論していく点に特徴がある。立憲主義を教えるとは何かを考えたい方にお勧めである。
  • また同時に、「教育の人間化」が進む1970年代のアメリカのカリキュラム改革運動の息吹を知りたい方にとっても、本書は興味深いだろう。なぜなら、本書は「新社会科運動」(教育の現代化運動)のターニングポイントとなった時期の代表作でもあるからだ。教育学者が積極的にカリキュラム開発をしていた時期がかつてはあったのである。

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◆ハロルド・ラッグ著(渡部竜也・桑原敏典・斉藤仁一朗・堀田諭共訳)『アメリカ人の生活と学校カリキュラム
―生活に根差したカリキュラムに向けての次のステップ』春風社、2018年
原著は1936年出版。アメリカ社会科をある意味で完成させた男の哲学の分かる書籍。




◆サム・ワインバーグ著(渡部竜也監訳)『歴史的思考―その不自然な行為』春風社、2017年





◆フレッド・ニューマン著(渡部竜也・堀田諭訳)『真正の学び/学力―質の高い知をめぐる学校再建―』春風社、2017年






◆渡部竜也編訳『世界初 市民性教育の国家規模カリキュラム―20世紀初期アメリカNEA社会科委員会報告書の事例から―』春風社、2016年

シティズンシップ教育を研究する人の必読本
20世紀初頭に合衆国で誕生し、その後さまざまな民主主義国家で実施されることになった「社会科教育」―。全米教育委員会(NEA)が世界に先駆けて発表した「市民性教育」の重要性を説く二つの報告書を翻訳し、後の社会科教育への影響について論じる。

【目次】
まえがき
コミュニティ・シヴィックスの教授(一九一五年)
―NEA中等教育再編審議会特別委員会報告
中等教育における社会科(一九一六年)
―NEA中等教育再編審議会社会科委員会報告
あとがき

社会科ってどんな教科なのか。それを知りたい人は必見である。
「初期社会科=上田薫・重松鷹泰」という人は、たぶん社会科がどんな教科なのか、その本質の部分を見誤っているだろう。
今度の学習指導要領社会に「主権者教育」が入ってくる・・・と報道されているが、社会科はそもそも主権者教育なのだよ!という突っ込みを入れた人は、どれだけいただろうか。
この本を読めば、その意味が分かると思う。
ただこのNEAの社会科案を社会科の完成形態と見るのか、通過点と見るのかは、論者次第である。

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キース・バートン、リンダ・レヴスティク著(渡部竜也、草原和博、田口紘子、田中伸訳)
『コモン・グッドのための歴史教育――社会文化的アプローチ』春風社、2015年


歴史教育にかかわる全ての人に
子どもたちが社会に参与してゆくために、小学校から高校までの歴史の授業で何ができるのか。
アメリカ、北アイルランド、ニュージーランドなどを例に、多様性を受け入れつつ民主主義に参加するための歴史教育のあり方を問い直す。
米国気鋭の教育学者たちによる著書、本邦初訳。(出版社HPより) 

【目次】
まえがき
日本版まえがき
第1章 歴史教育についての社会文化的な見方
第2章 参加民主主義と民主主義的人道主義
第3章 自己認識のスタンス
第4章 分析的探究のスタンス
第5章 道徳的反応のスタンス
第6章 陳列展示のスタンス
第7章 物語の構造と歴史教育
第8章 個人の功績と動機の物語
第9章 国家の自由と進歩の物語
第10章 探究
第11章 見解認識としての歴史的エンパシー(感情理解)
第12章 ケアリングとしてのエンパシー(感情理解)
第13章 教師教育と歴史教育の目的
訳者解説
 総合解説(渡部)
 日米研究方法論の比較を通してみたバートン・レヴスティクの歴史教育研究の特質(草原)
 米国の歴史教育史からみたバートン・レヴスティクの歴史教育論の特質(田口)
 英国歴史教育界へのバートンとレヴスティクの影響(田中)

【内容】
『歴史する(Doing History)』という本を出して、一次資料を活用した歴史学習(解釈を重視した歴史学習)を推進してきたキース・バートンとリンダ・レヴスティクの二人が、最近、その方針を見直し、「歴史する」のではなく、「社会科する(Doing Social Studies)」ことを重視するようになりました。本書は、彼らがその方向転換を表明した本です。
この二人は、米国で最も注目されている社会科(歴史)教育学者であり、また英国など英語圏でもその名が広く知られている研究者です。
具体的な内容は、読んでみてからのお楽しみ・・・といいましょうか、内容は多岐にわたっており、ここでその内容を簡潔に書いてしまうと、本書の内容が陳腐にみえてしまい、逆効果になってしまう気がします。
とりあえず、こんな方におススメということで。

・通史に関心のある方
・歴史を学ぶ(教える)ことの意味(理由)に悩む方
・ナショナルアイデンティティについて興味のある方
・歴史教育における共感理解(または他者理解)のあり方について考えたい方
・一次資料を活用した歴史教育をしたいと思っている方(またはそれに疑問を感じる方)
・物語と歴史教育について研究したい方
・社会文化的アプローチの実用化(教育学への応用)に関心のある方
・「社会科歴史」を知りたい方、関心のある方
・アメリカやイギリスの歴史教育に関心のある方
・正統的周辺参加論や「状況に埋め込まれた知」「媒介された行為」などに関心のある方
・コモングッドについて知りたい方、考えたい方
・リベラリズムに疑問を感じる方、疑問を覚えない方
・ケアリングと教育の関係について関心のある方
・歴史教育における学力について考えたい方
・レッスン・スタディに疑問を感じる方、疑問を覚えない方
・教師教育に関心のある方、PCKに関心のある方
・社会科教育研究方法論に関心のある方
・社会科教師のゲートキーピングに関心を持たれている方

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と、2016年までは上のように紹介していたのですが、最近「コモングッドのための歴史教育」とネットで検索して見ると、次のようなコメントが。「本書は特に参考にすることろはない」「アメリカも日本も社会科教師は同じ問題があることがわかった」・・・。おいおい、この本は、そんなことが書いてあるのは、第13章くらいのもので(ここだけ社会科教師の話題)、他は(アメリカ合衆国の)子どもたちの様々な歴史の学びの実態を社会文化的アプローチと呼ばれる分析視点で考察していき、民主主義社会に貢献できる市民育成のための歴史の可能性を問いかけ議論するといった展開となっている。ちゃんと読んでから批判してくれよ(ネットにさらしてくれよ)、焼津の社会科の教育主事さんよ。しかも、第13章も、はショーマン批判という、結構教育学的には重要な部分ではある。もう少し、現在の教師教育研究の動向を知って欲しいところだ。
この本の魅力の一つは、歴史学教育の限界を論じている点。特に、「歴史家のように学ぶ(読む)」歴史学習の限界を、子どもたちの調査から明らかにしている点にある。対ワインバーグ、対ヴァンスレッドライト、対「教科の本質を学ぶ(「教科(学科)」する)」にある。また、これまでやってはならないとされてきたような歴史アプローチの可能性を再検討する点も見逃せない。共感理解も、新聞づくりのような活動主義も、文脈次第では意味のある歴史の学びを子どもたちに保証するし、歴史学のディシプリンに即した分析型の歴史学習であっても、文脈やアプローチの仕方次第では、思ったほどの効果を持たない。それがいつ、どのような時なのかを、各アプローチ別に実証的に検討している点に、本書のオリジナリティがある。

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◆渡部竜也『アメリカ社会科における価値学習の展開と構造――民主主義社会形成のための教育改革の可能性』風間書房、2015年

 思想・宗教・法・文化的慣習を扱う価値学習は、民主主義社会の形成者育成へ向けていかなる可能性と限界があるのか。近年の米国のカリキュラム教材を事例に総合的に検討する。(出版社HPより)

【目次】
序章 本研究の目的と方法
 第1節 研究主題
 第2節 本研究の背景
 第3節 本研究の意義と特質
 第4節 研究方法と本書の構成
第1章 価値の本質と価値学習の類型
 第1節 価値と学校教育
 第2節 学校教育(教科教育)における価値学習の変遷
 第3節 価値学習の4類型
 第4節 「知的作法」について
第2章 民主主義社会の形成者育成における宗教的価値学習の特質と課題
 第1節 合衆国における宗教的価値学習の概要
 第2節 「非通約的多元主義型」宗教的価値学習――『世界の宗教』の場合
 第3節 「通約的多元主義型」宗教的価値学習――『比較宗教』の場合
 第4節 宗教的価値学習の特質――価値の批判的吟味・評価の回避
第3章 民主主義社会の形成者育成における思想的価値学習の特質と課題
 第1節 合衆国における思想的価値学習の概要
 第2節 「適応主義型」思想的価値学習――『人間の価値』の場合
 第3節 「構成主義型」思想的価値学習
  第1項 「文脈主義」系――『思考への扉』の場合
  第2項 「非文脈主義」系――『フェミニズム』の場合
  第3項 「構成主義型」思想的価値学習の特質
 第4節 思想的価値学習の特質――個人の枠内にとどまる価値の構成
第4章 民主主義社会の形成者育成における文化慣習的価値学習の特質と課題
 第1節 合衆国における文化慣習的価値学習の概要
 第2節 「非通約的多元主義型」文化慣習的価値学習――『国と文化』の場合
 第3節 「通約的多元主義型」文化慣習的価値学習
  第1項 「異文化間比較」系――『世界文化』の場合
  第2項 「超異文化間比較」系――MACOSの場合
  第3項 「通約的多元主義型」文化慣習的価値学習の特質
 第4節 「構成主義型」文化慣習的価値学習――『文化の関係』の場合
 第5節 「社会改造主義型」文化慣習的価値学習――『文化の衝突』の場合
 第6節 文化慣習的価値学習の特質と課題――判断基準なき社会的価値の創造
第5章 民主主義社会の形成者育成における法規範的価値学習の特質と課題
 第1節 合衆国における法規範的価値学習の概要
 第2節 「適応主義型」法規範的価値学習
  第1項 「教養主義」系――『憲法の学習』の場合
  第2項 「生活是正主義」系――『私の尊厳、あなたの尊厳』の場合
  第3項 「適応主義型」法規範的価値学習の特質
 第3節 「社会改造主義型」法規範的価値学習
  第1項 「法的選択」系――『今日と明日への決断』の場合
  第2項 「法的判断」系――ハーバード社会科の場合
  第3項 「社会改造主義型」法規範的価値学習の特質
 第4節 「根源主義型」法規範的価値学習――『法と王冠』の場合
 第5節 法規範的価値学習の特質――教室集団による普遍的価値の創造
終章 民主主義社会の形成者育成における価値学習の特質と課題
 第1節 研究成果の総括
 第2節 研究の示唆するもの――価値学習の原理と方法
  1.価値学習の領域依存性
  2.価値学習を学校教育(教科教育)の中心に位置づけることの意義

【内容】
合衆国において1960年代後半くらいから「教育の人間化」の動きの中で登場した「法関連教育」「価値明確化教育」「品格教育(キャラクター・エデュケーション))」「価値分析教育」「道徳性発達教育(コールバーグ)」などの各種価値学習を取り上げ、それらが「民主主義社会の形成者育成」に果たしうる機能とその限界を論じている。
なお、価値学習が持つ一定の構造(体系)を解明したかったこともあり、「法関連教育」「価値明確化教育」などといった合衆国での名称を一度取り払って各種の価値学習論の再整理を試みた。
本書は、私の博士論文であり、また典型的な「研究書」であるように思う。1970年代以降の合衆国の価値学習に関心のある方が主に読んでいただきたい。
なお出版にあたっては、科研費出版助成金を頂いた。関係者の方々には感謝申し上げたい。

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◆草原和博・渡部竜也編『“国境・国土・領土”教育の論点争点――過去に学び、世界に学び、未来を拓く社会科授業の新提案』明治図書、2014年

自国オンリーはダメ。ではどうする?
国境なき医師団が消える日はくる?21世紀の今日に至るも主張を譲らないでにらみあう隣国同士…。引越せない以上折り合いをつける以外に道はない…。次世代が何に対してどう挑んでいったらよいのか。日本の現状と諸外国の教育指針の対比などを通してあるべき方向を示唆。(出版社HPより)

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◆ヘンリー・ジルー著(渡部竜也訳)『変革的知識人としての教師――批判的教授法の学びに向けて』春風社、2014年

 思想権力にとって都合のいい人々を育てる場になってしまった教室の知を疑い、学校の在り方を変革する教師像を探る。パウロ・フレイレの影響を受け、批判的教育学の基礎を築いたジルーの著書、初の邦訳。(出版社HPより)

【目次】
まえがき――批判理論と希望の意味(ピーター・マクラーレン)
謝辞
編者序文(パウロ・フレイレ)
第1部
 第1章 学校教育の言語についての再考察
 第2章 カリキュラムの新たな社会学に向けて
 第3章 教室での社会的教育――隠れたカリキュラムの力学
 第4章 行動目標、人間目標の克服
第2部 リテラシー、文章力、声の政治学
 第5章 社会科における文章力と批判的思考
 第6章 大衆文化と新しい文盲(非識字)の増加――読解の意味
 第7章 批判的教授法、文化の政治学、経験の言説
 第8章 パウロ・フレイレの仕事に見る文化、権力、変革――教育の政治学に向けて
第3部 教えること、知的作業、文化の政治学としての教育
 第9章 変革的知識人としての教師
 第10章 カリキュラム研究と文化の政治学
 第11章 カルチュラル・スタディーズの必要性
 第12章 教師教育と民主主義改革の政治学
第4部 批判と可能性の言語に向けて
 第13章 公教育の危機と可能性
 第14章 再生産を再生産する――習熟度別編成の政治学
 第15章 アントニオ・グラムシ――急進的な政治学に向けた学校教育
 第16章 批判的教育における連帯、倫理、可能性
訳者あとがき(渡部)

【内容】
Teachers as Intellectualsが原題なので、『知識人としての教師』というタイトルが本当なのでしょうが、内容を見て、私としてはあえて「変革的(transformative)」を入れ、第9章のタイトルと同じにしました。
ジルーの論文の比較的初期のものを集めた「論文集」といった感じの本ですが、その分、今のジルーとは異なり、授業の実践事例を示すなど「具体的な語り」をする箇所が多くみられ、また「ポストモダン的」な主張を幾分か控えている印象を受ける中身になっています。その分、私から見ると「現実的」に感じます。
「教授法」とか「教授学」という言葉を彼は好んで使う割に、彼の著書はいずれも哲学書であり、教育政治学や教育社会学の関係者が読んだ方が良い感じの書物が多い。ただ本書は、まだ彼の他の書籍に比べると、幾分か「実践的」です。
「訳者あとがき」には、普段私が教育哲学者に感じていることを率直に語っている場面があります。ぜひ一読していただければと思います。

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◆スティーブン・ソーントン著(渡部竜也、山田秀和、田中伸、堀田諭訳)『教師のゲートキーピング――主体的な学習者を生む社会科カリキュラムに向けて』春風社、2012年


 カリキュラム改革を実施しても、教師のカリキュラム調節能力(=ゲートキーピング力)を磨かなければ教室は変わらない。米国社会科教育史における論争を展望し、教育の根本を押さえつつ、カリキュラムを柔軟に運用する教師像を模索する。(出版社HPより)

【目次】
日本版のためのまえがき
まえがき(ネル・ノディングス)
序章 社会科の諸問題
第1章 なぜ「ゲートキーピング」はカリキュラム改革よりも重要なのか
第2章 社会科カリキュラムはこれまでどのように組織化されてきたか
第3章 教育のねらいの重要性
第4章 バランスのとれた柔軟なカリキュラムに向けて
第5章 教育方法
第6章 教育者を教育すること
第7章 実際なされているカリキュラムの重要性
 付論1 社会科におけるゲートキーパーとしての教師
 付論2 空カリキュラム――その理論的基礎と実践の示すものについて
 付論3 社会科カリキュラムの正当性
 用語解説
 訳者あとがき
 本書の背景、本書の読み方(草原和博)

【内容】
Teaching Social Studies That Mattersが原著のタイトルです。『社会科を教えることの重要性』と訳すと良いのかもしれませんが、全然魅力的に感じないので、『教師のゲートキーピング』に改題しました。
本書のキーワードは「ゲートキーピング」「ゲートキーパーとしての教師」です。本書を読んで、多くの人は「そりゃそうだ」「当たり前じゃないか」と感じると思います。子どもたちにとってのカリキュラムは教師が提供しているそれ自体(enacted curriculum)であり、それは公的カリキュラムを個々の教師が意味づけ読み替えたものである…確かに当たり前かもしれない。

でも、だったらなぜ教育改革といえば「学習指導要領(公的カリキュラム)」を変えることだとみんな感じるのだろう?
なぜあれだけ歴史教科書の記載内容で人々は喧々諤々やるのだろう?
なぜ教員養成で、学習指導要領の「良い読み替え方」なんて考えさせず、学習指導要領の書いてある内容をそのまま伝達することで満足しているのだろう。

本当に「ゲートキーピング」は、この国の教師文化や教育制度において当たり前とされているのか?これがソーントンのしたかった問題提起なのです。
ゲートキーピングは、学習指導要領や周囲の教師文化に適度に合わせながらも、民主主義社会に寄与できる子どもたちを作るためにぎりぎりのところで戦ってもいる、そんな教師に自覚と力を与える概念であると私は思います。
日本教育方法学会の本書の書評は、そうしたソーントン氏の主張まで読み取れていない、とても残念なものだった。もう少し文脈読解力のある方が書評しないと、教育方法学の学者の力はその程度なのかと感じてしまう。
ただ本書は原著においても回りくどい表現も多く、それをなかなか翻訳で克服できなかったのも事実。読みにくい本になってしまった。
読者には、第3章から読むこと(または「訳者あとがき」から読むこと)をお勧めします。

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